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1:物思いにふける(コピペ)パクリ[16] 2:てすと[1] 3:不治痛のパソコン[2] 4:WRCラリージャパンの工事に行ってみた[4]


物思いにふける(コピペ)パクリ  投稿者:匿名希望 投稿日:2004/04/21(Wed) 13:49 ID:uPk7343U No.3 引用

以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、
そのうちメモリがいっぱいになったらしくて
メカ音痴な母は
「ねえ、これ写らなくなっちゃったんだけど…」
と遠慮気味に相談してきた。
けど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ!
忙しいからくだらないことで話しかけるなよな!」
と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、
なんとはなしに撮ったものを見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。
--------------------------------
時々見かける・・・母が妻だったりもしている

- Thank you for your first contribution! -


物思いにふける(コピペ)パクリ  匿名希望 - 2004/04/21(Wed) 13:59 ID:uPk7343U No.4 引用
risu.gif 祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。

病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・

握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。

祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには
私や、孫たちの絵で埋まっていました。
- Count.2 (Last.2004/04/21 13:49) -


物思いにふける(コピペ)パクリ  七誌 - 2004/04/21(Wed) 14:02 ID:uPk7343U No.5 引用
usagi.gif ポケベルがはやっていた時、私の父親もポケベルを持っていたんだけど、私がいくら説明してもうまく操作できなかった。
父親はその時から癌におかされていて、父親が死んだ時、病室の引き出しから一枚の紙がでてきた。
おばあちゃんやお母さんはその紙を見て「なんだろね、これ?」と言って私に見せました。
その紙には数字の羅列が書いてありました。
私は一見しただけでそれがポケベルで使われる数字を使った文章だとわかりました。
涙が出てきました。
「お父さんもがんばるから、おまえたちもがんばれ」と書いてありました。
- Thank you for your first contribution! -


物思いにふける(コピペ)パクリ  奈々氏 - 2004/04/21(Wed) 14:09 ID:uPk7343U No.6 引用
usagi.gif 私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、
継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、
私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、
断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。
あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
(終わり)
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物思いにふける(コピペ)パクリ  名無し - 2004/04/21(Wed) 14:15 ID:uPk7343U No.7 引用
hamuchan.gif ガンで3年前に亡くなった主人。
看病疲れでうとうとしてしまうと、必ず
自分の布団を私にかけてくれていた。
元気な時は口うるさくて頑固で、何をしてあげても
感謝の気持ちも何も表してくれなかった。
そんな主人の最後の言葉は
「いろいろありがとう。ひとりにして申し訳ない」
でした。
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物思いにふける(コピペ)パクリ  ほい - 2004/04/21(Wed) 14:24 ID:uPk7343U No.8 引用
wanko.gif 三つ下の妹がいました。体の弱かった妹は入退院を繰り返し、
そのたびに母が付き添うので、寂しくてたまりませんでした。
ある日、うちにいた妹に「妹なんていらない。犬の方がよかった。」
って言いました。「ワン!」って妹が言いました。半年後に妹は
この世からいなくなりました。どうしてあんなこといったんだろう。
ごめんね、お兄ちゃんがばかでした。
- Thank you for your first contribution! -


(コピペ)パクリ  匿名希望 - 2004/04/21(Wed) 14:39 ID:uPk7343U No.9 引用
hiyoko.gif 私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。
私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが
多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、
励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、
「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。

彼との別れは突然訪れます。彼が交通事故で亡くなったのです。
彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。
お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
何気なく携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが
たくさんあるのに気付きました。
そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った
自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日から1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。
- Count.3 (Last.2004/04/21 13:59) -


無題  七紙 - 2004/04/21(Wed) 15:09 ID:uPk7343U No.10 引用
denden.gif
木造家屋が倒壊して瓦礫の下、夫婦が身動きとれなくなっていた。
決して仲むつまじい夫婦でも無く、むしろ会話もない冷めた関係だった。
身動きのとれない、お互いは何メートルか離れていたが会話を交わす事はできた。
不思議な事にこんな時になってやっとお互いに本音の言葉が出た。
旦那「ごめんな、俺がもっと稼いどったら、もっと頑丈な家に住めてこんな事にならんかったのにな」
妻「こんな時に何言っとんの?救出されたら、また一から頑張ろうや」
旦那「ありがとう。今まで冷たくしてすまんかったな。一緒に頑張ろな。」
数時間後、救出部隊によって瓦礫は取り除かれたが旦那は冷たくなっていた。
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無題  七紙 - 2004/04/21(Wed) 15:26 ID:uPk7343U No.11 引用
hamu.gif 私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。
よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。

そんなある日のこと。

その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。
私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。


四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ〜、めぐみ〜、お母さん来てるよ」
と言いました。
私は、はっとしました。急いで廊下に出てみると何と母が
忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」
といいました。
私は、
「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと
教室に入った行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られて
しまったことで私は顔から火が出る想いでした。


その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。
「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことが
あったんだよ。そのときに二階で寝ていたお前を助けようと
母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに
顔に火傷を負ってしまったんだよ。」
「今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいって
お前を助けたからだよ。」
私はそんなことは、はじめて聞きました。
そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても
あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと
思ってたんだけど・・・」
といいました。
私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた
態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん〜」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。

今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。
- Count.2 (Last.2004/04/21 15:09) -


無題  ほい - 2004/04/21(Wed) 16:00 ID:uPk7343U No.12 引用
niwatori.gif 私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
- Count.2 (Last.2004/04/21 14:24) -


無題  こぴぺ - 2004/04/21(Wed) 16:48 ID:uPk7343U No.13 引用
yuki.gif 糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。


それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」



その夜、初めて泣いた。



ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。


・・・ちなみに、ばぁちゃんは糖尿病で血管詰まらせて他界してしまいました。
脳の血管まで圧迫しちゃうんですね。。。
だからボケちゃうんだ・・・。

でも、最後の最後まで、叔父に頼んだり祖父に頼んだりしてお金振り込んでたみたいです。
なんか泣いてしまった
- Thank you for your first contribution! -


無題  こぴぺ - 2004/04/21(Wed) 17:37 ID:uPk7343U No.14 引用
zou.gif
オレには幼馴染の女の子がいた
小学校・中学校まで病気の為殆んど普通の学校に行けず
いつも院内学級で1人でいるせいか人付き合いが苦手でオレ以外友達は居なかった
彼女の体調がよく外泊許可中はいつもオレが普通の学校へ送り迎いをして彼女の体調の変化に対応するようになっていた

普通は親がやることだが家が隣同士で母親の職場が同じで家族ぐるみの付き合いをしていたので
彼女の母親はオレに絶対的な信頼を寄せていたんだと思う
(彼女の入院費を稼ぐ為に働いて彼女自身をおろそかにしなければならないと言う
矛盾した悲しい現実もあった)

オレはそんな信頼に答えるように幼いながらの正義感を持っていて
学校で茶化される事があったがそれは自分に与えられた責任が果たせていると言う確認でしかなかった

彼女は人工透析以外普通の学生生活を送ろうと懸命で体調さえよければ雨の日や雪が降るような寒い時でも
中学生とは思えない華奢な肩を震わせて学校に行った。

そんな彼女のがんばりで高校進学の出席日数は普通の学校と院内学級を合わせて何とか間に合って(実際は足りなかったが意欲有りで認められた)
オレが合格した高校の2次募集を受験して補欠ながら何とか合格して、いつもふさぎがちな彼女の表情は輝いていていた
これは高校合格だけでは無く、体調が安定してきて外泊許可が長くなったのもあると思う
彼女にとって今全てが動き始めた


彼女の高校合格の日、両家合同でちょっとした合格パーティーが行われて
彼女の母親がオレの手を泣きながら握って何度も何度もお礼をして
オレは苦笑いするしかなく彼女も恥ずかしそうに笑っていた

そこまで感謝されているのは嬉しかったが微妙な違和感があった。

彼女が寝付いた後話を聞いたら
彼女の病気は内臓、とりわけ腎臓が殆んど機能しておらず
医者からは10歳まで生きられないと言われていたと言うのだ
腎臓に障害があるのは話や人工透析中の様子を見てきたから既に知っていたが寿命の事は知らなかった

入学までの約1ヶ月間毎日のように2人で過ごして、ごく普通の生活
ごく普通の時間を過ごしていて、いっしょにテレビを見ていても彼女は幸せそうだった
考えてみればこんな時間の過ごし方は数ヶ月前ではとても考えられない
彼女にとっては病室で1人で過ごすのが普通なのだから

それに気が付いた日俺は泣いた、彼女にとっての日常が病院で1人きりで非日常が家。
しかも、家に帰っても家族は誰も居ない入院費を稼ぐ為に

この頃からオレは責任から義務へ彼女を絶対に守ると決意したと思う


しかしそんな決意も脆くも崩れ去った
いつも通りいっしょにテレビを見てトランプで遊んで、お昼に病院から宅配された
ごはんを食べていたら彼女は嘔吐し気絶してしまった
救急車が来るまで洋服や口の周りを拭いてソファーに移動させようと抱きかかえたが
驚愕した軽い軽すぎる、まるで内蔵の無い人間を抱きかかえているようだった
結局彼女はそのまま入院し高校は休学した

彼女の日常に戻っていく

今までの入院中の面会は4日に1回程度で人工透析のある日は行かなかった
でも、あのころは毎日のように彼女の病室を訪ねて人工透析後の虚脱感で彼女が寝ていても
面会時間いっぱいまで本を読んだり勉強をして過ごしていた
透析が無い日は学校の話・友達の話・テレビの話どうでもいい話を面会時間ぎりぎりまで話して
本が欲しいと言えば直ぐ買ってきて、大きめの鏡が欲しいと言えば1番高い物を持って行き
彼女の日常が、無邪気な笑顔が充実するように努めた

そんなある日、日曜日に面会に行こうとしたら彼女の両親からいっしょに行こうと電話があり
彼女の要望のクシを購入して行った。クシの入った可愛らしい袋はちょっと恥ずかしかったので
彼女のお母さんに持ってもらい病院に行った。彼女の両親は担当医に挨拶をすると言い
オレは先に彼女の病室に歩き出した。しかし、クシの事を思い出し彼女の両親が入っていった
部屋に行き様子を伺おうと少し開いているドアから覗き込むと上気した感じで担当医と話していて
その内容が聞き取れた

「あと、半年の命です」

中に居た看護婦さんが泣き声に気が付いてオレを中に入れて椅子に座らせてくれた
担当医から告げられる言葉は全てが虚しく何を喋っていたのか余り覚えていない覚えているのは
「半年の命、先天性腎機能障害・移植は合う人が居ない・人工透析の副作用・入院中の吐血
人間として迎えさせる」

担当医の話が終わり彼女の母はショックが大きくとても今日は会えないと言い
クシの入った袋を渡して帰っていった

オレも今自分の顔がどんな表情をしているか分かるから、彼女に絶対悟られたくないから
数時間気持ちを落ち着けてから彼女の病室に向かった

病室に入ると彼女は無邪気な満面の笑みで迎えてくれて、クシに気が付くと更に笑顔を輝かせていた
室内は夕焼けのオレンジで溢れていてオレは死をイメージしてしまい目が熱くなるのを感じて
クシを渡し棚の上にある鏡を渡して窓際に移動して顔を背けながら話した
流石にずっと背を向けて喋ると悟られそうで無理して振り向くと彼女はクシで髪形を7・3にしたり9・1にしたり
髪で遊ぶのに夢中で少しほっとした。
彼女の枕元を見ると参考書が置いてあり色々書き込みがされていて、聞くと
「時間いっぱいあるし、復学したらテストでトップを取るんだ」と照れくさそうに笑っていた
それから少し喋ると直ぐに面会時間になり帰った

夕焼けが町を包む、彼女の黄昏
「時間いっぱいあるし・・・」



家に帰ると彼女の両親がオレの両親に病状を話していた
彼女の両親はとても落ち着いていて、オレの両親が泣きじゃくっていて逆に励まされていた
オレはムカついて冷蔵庫から牛乳を取り出し一気に飲み干してそのまま寝た

次の日から彼女の母は勤務日数を減らして1日中病院に居る日が多くなり
オレがムカついていたことは馬鹿だと思った
元々医者から10歳までしか生きられないと聞かされていた彼女の両親はとうの昔に覚悟を決めていたんだろうと
しかし、両親が見舞いに来る日が多すぎて流石に悟られてしまうと担当医から注意を受けていた
今日も面会に行くと笑顔で迎えてくれた
学校の話・テレビの話・仕入れた面白い話をひと通り話して久しぶりに勉強を教えようと
大量の本がある棚から彼女のノートと参考書を取り出して何処まで進めたのかノートを見た
しかしそこには勉強の跡は無く、日記が書かれていた。その後直ぐに彼女に取り上げられて
内容は余り覚えていないが1日分の日記が1ページ程使って書かれていた。

「まだ、見ちゃ駄目」

日記を書くと考えがまとまって、気分がいいらしい
その事を褒めてあげていると急に彼女の顔が苦痛に歪んで胸を押さえた
何かまずい事を言ったのかと思ったがそれは違い、急いでナースコールを押して看護婦さんを呼んだ
直ぐに安定したが看護婦さんに呼ばれ別室で話を聞いた
腎臓障害が心臓に影響しはじめて不整脈が起こりやすい事、もう時間が無い事
人間として最後を迎えさせる事

オレは忘れてはいなかったが、あえて考えないようにしていたのかもしれない
彼女の時間が迫っていることを


その後面会謝絶になり、2日程逢えなかったが直ぐに逢えるようになった

オレはいつも通り毎日学校帰りに面会に行った、彼女の無邪気な笑顔を作る為に
ノックをすると返事がある、今日も大丈夫だ
ドアを開けると黄昏に染まった病室でオレに背を向けて夕焼けに染まった町を眺めていた
その横に静かに座りオレも黙って見ていた、窓に反射している彼女の顔を
彼女もそれに気が付いたのか照れくさそうに笑って話し出した

「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」

ひっかかる事があったが気にするなと言って、窓に反射している彼女の顔を見つめた
ふと、部屋の中を見渡すと本棚にあった大量の本が数冊を残して空っぽになっていた
聞くと、片付ける時お母さんが可愛そうだと笑って言った
彼女はいつもの無邪気な笑顔では無く、悟った様なやさしい笑顔だった

不意に目が熱くなり、トイレに行って来ると言い訳してその場を離れようとすると
彼女の母親と入れ違いになりオレは顔を隠すように軽く会釈をして出て行った
病室から彼女のビックリしたような声が聞こえる、どうやら外泊許可が下りたようだ
どんな顔で喜んでいるのか見たかったが既に逢えるような顔ではなかった

日記を書くと考えがまとまって、気分がいいらしい
「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」
整理された本棚
悟った様なやさしい笑顔

彼女は既に知っている、もう時間が無いことを

最後の外泊許可で帰ってきた日は両家で食事会が開かれた
食事制限が厳しいながらも母親たちが、がんばって作った料理が食卓に並ぶ
誰かがちょっとでも予感させる事を言えばその場で食卓は凍りつく。そんな雰囲気で
会話は交わされていた。普通の話でも大げさに笑いリアクションも大げさだった
オレも嫌いではない胡麻和えを嫌いと言い、話を盛り上げようとがんばった
彼女を見ると両親たちに向けてまた無邪気な笑顔で笑っていた
両親たちとオレに向ける笑顔を使い分けて

問題なく食事会は終わり帰ろうとすると彼女に呼び止められお礼を言われた
「付き合ってくれてありがとう。」

意味は分かっている

7月に余命を宣告されて今は12月
最後の外泊許可を貰った彼女に会いに行く。
病室で見る笑顔より輝いていたのがすぐにわかった
外泊許可を貰っても免疫力の落ちた彼女を人ごみに連れて行く訳にはいけないので
近くの森林公園に行くことが多かった、森林公園と言っても中にはちょっとした博物館や美術館があるのだ
16歳の普通の女の子なら退屈で悪態をつかれそうだが、何も知らない彼女はニコニコして楽しそうにしていた
今日の彼女はよく喋った、幼稚園の頃の話・2人で行った映画の話・体調の安定していた頃の通学中の話
オレは何となく覚えているが彼女は細かく詳細に覚えていて驚かせる
不意に黙った彼女を見ると、白すぎる頬を赤らめ目に涙を貯めてオレに感情を爆発させた

「まだ死にたくない」

オレはたまらずゾッとするほど華奢な彼女を抱きしめた
何て言えばいいのか馬鹿なオレには分からずただ抱きしめてキスをした

「ありがとう」

長期外泊許可が終わった今日、彼女は帰っていく
その後、彼女の体調は緊張の糸が切れたように日に日に状態が悪くなる一方だった


今彼女の覚醒時間は短い、あらゆる激痛が彼女を襲いそれを和らげる為にモルヒネが使われているのだ
ちょっとした風邪でも肺炎に進行し後が無い、感染症・合併症・言葉で表すのは簡単だが現実は想像をぜっする

念入りに消毒して黄昏さえない彼女の無菌室に行く、彼女の顔は浮腫んでやっと高校生らしい感じになっていた
荒い息使いで額にうっすら汗が出ていて透明なビニールのカーテンを開けて拭いてあげる
不意に彼女は目を開け笑顔にならない表情を見せまた眠りについた

その日の夜、病院から電話があった
彼女が移された病室には今まで見たことのない親戚と無数の機械、枕元には彼女の両親が立っていた
彼女は虚ろな目で来てくれた人にお礼をしていてた
モニターを見ていた医者に促された彼女の両親は、オレを枕元に手招きする
彼女の手を握って話す、痛みは?苦しくない?寒くない?ゆっくり話した。
彼女は後で日記を見てねと言って、日記を出して穏やかな笑顔を見せた

「私、がんばったよね?」

「ああ」

彼女は早朝に亡くなった


アルコールのニオイがする彼女の日記には色々な事が書いてあった。
オレが話した学校の話・友達の話・テレビの話どうでもいい話、その時のオレの表情
まるで、書きもれるのを恐れている様に細かく書いてあった。

2ページ程の空白あと、彼女の感情がぶつけられていた。
文字にならない文字で吐血の事・胸の痛みの事、既に文字ではなかったが彼女の気持ちが分かる
夜中の病室で1人、孤独と不安と戦っていたんだろう

その後何事も無かったように最後の外泊許可の日々まで書かれていた
そして最後のページには1文だけ書かれて終わっていた

「今日キスをした、もう怖くない・・・愛してます」



※未だに彼女のこと自分の感情を整理出来ずにいたため、書いてみました。
※7日から新学期が始まるのに情けないです
※長文・読みづらくてすみません。
- Count.2 (Last.2004/04/21 16:48) -

てすと  投稿者:test 投稿日:2004/04/17(Sat) 11:59 ID:fVw7sUHk No.1 引用
lion.gif

新たな掲示板を設置しましたので、テストしてます
上手く動いたら使ってくださいな

- Thank you for your first contribution! -


そろそろ季節  test - 2004/04/17(Sat) 12:02 ID:fVw7sUHk No.2 引用
lion.gif

今年も行者ニンニクを送りますよー

- Count.2 (Last.2004/04/17 11:59) -

不治痛のパソコン  投稿者:電解でいんかい 投稿日:2004/09/27(Mon) 10:04 ID:T7ZxritI No.22 引用

2001年後半から2002年前半の間に製造された電解コンデンサーに
使われている電解液に粗悪なものがあるそうです。その物かどうかは不明ですが
富士通のディスクトップパソコンが修理に来ました。買って2年半と言う
FMV-M8−159Tハードディスクのアクセスランプは点くのにパワーランプが
点かない。電源ユニットを変えて診たが結果は同じ。よぉーく見るとCPU傍にある
コンデンサーが7個全てプクーリと膨らんで液漏れの後もあり。メーカーの
サポセンに電話するも埒があかず同型のマザーもおいそれと無いだろうし
仮にマザーを変えてもCPUやハードディスクが無事だと言う保証も無く、
責任を持って修理となると買うほど掛かるとの理由から廃棄と決定
この時点で遊びが決定・・・・・ムクムク

- Thank you for your first contribution! -


コンデンサー移植  電解でいんかい - 2004/09/27(Mon) 10:21 ID:T7ZxritI No.23 引用

マザーを変えるにしてもコスト的にリスクは大きいので(メーカー修理も高い)
逝かれたマザーを探しました。部品を移植するために。しかし基盤だのコンデンサー
だの・・・知識は皆無。ネットで漁ってチョッとだけ勉強しました。逝かれたのは
GSC社の6.3Vの1200uFというもの、此れと同じ企画の部品がありません
秋葉原は遠いしカネナイシ・・・。で、コンデンサーの仕事と言うか規格とは
頭の6.3Vは耐圧が6.3ボルトまではOKよと言う事で1200uFの
容量ですよと。まー電池みたいな物らしいので一か罰か・・似たのを探すと

サンヨーの10V-1500uFなるものが8本乗ったマザー、ハケーン
元は6.3V迄OKよ、が・・10Vまでならよって事で大は小を兼ねるの諺
更に1200が1500なので此れもOKかなっと勝手に解釈。どうせ駄目元
3時間の悪戦苦闘の末やっと移植完了。電源ONで見事、起動しました。

- Count.2 (Last.2004/09/27 10:04) -


動いたけど・・・  電解でいんかい - 2004/09/27(Mon) 10:31 ID:T7ZxritI No.24 引用

まず、もぎ取り様マザーからコンデンサーを外すのに一苦労、外れない・・・
半田ごてであっためて右左と交互に足を抜いていくのですが、なかなか溶けない
しょうがないので更に半田を盛って何とか引っこ抜き、部品確保。次に逝かれた
方のコンデンサーも外し、更に刺さってた穴も綺麗にして部品を装着&半田付け

なんと老眼な上めったに遣らないので手が震え・・・なかなか半田が思うように
付いてくれない、それでも何とか・・・仕事は汚いが役目は果たした

- Count.3 (Last.2004/09/27 10:21) -

WRCラリージャパンの工事に行ってみた  投稿者:工事 投稿日:2004/08/28(Sat) 16:49 ID:i2puainI No.17 引用
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ラリージャパンの通信工事で作業員を遣って来ました
北愛国自動車公園内に作られたメイン会場。作業は肉体労働
実際の大会は見る事が出来ません(チケット無いし)
通信ケーブルを引っ張ったり、束ねたり、丸めたり・・・・
こそーり報告

- Thank you for your first contribution! -


WRC工事その2  工事 - 2004/08/28(Sat) 16:53 ID:i2puainI No.18 引用
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愛国のメイン会場はなかなか写真のチャンスが無くて
日も沈みかけた札内のデモンストレーション会場をトウサツ
その1

- Count.2 (Last.2004/08/28 16:49) -


WRC工事その3  工事 - 2004/08/28(Sat) 16:56 ID:i2puainI No.19 引用
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立ち見4,000円とスタンド8,000円とか・・・・カネナイシ
チケットも完売とか聞きましたが

- Count.3 (Last.2004/08/28 16:53) -


WRC工事その4  工事 - 2004/08/28(Sat) 16:58 ID:i2puainI No.20 引用
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とっぷり、暗くなってからの携帯での撮影で見苦しいけど
仕事はまじめに遣ってきましたよ

- Count.4 (Last.2004/08/28 16:56) -


WRC工事その?  工事 - 2004/08/28(Sat) 16:59 ID:i2puainI No.21 引用
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作業終了間際の本部棟からコソーリ写しました

- Count.5 (Last.2004/08/28 16:58) -

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